三日坊主三段活用

140字以上の感想を書きたい

善き人を見てきた

善き人の感想

 

自分の考えなども織り込みながら書いているため、純粋な善き人の感想としては不純物が多いですご了承ください。

 

元のタイトルはGOOD。邦題では「善き人」というタイトルがつけられている。

NTLiveHOMEでは未配信。残念。

映画版は存在しているが配信はないのでTSUTAYAなどでレンタルをする必要がある。ちなみにこちらもタイトルは「善き人」。

戯曲は存在しているがAmazonでペーパーバック版は品切れ。Kindle版なら購入は可能。

2023/10/27から京都などで見ることは可能。

パンフレットは完売。グッド・オーメンズファンも多く来ていたらしい。

上映期間短めで客席数も少ない映画で訪れた人が大体買うような状況ならさもありなん…。

私もグッド・オーメンズ経由でテナントさんを知りました。クロウリー良い。

フォロワー経由でNTlive作品を詳細されたまに見に行く者なのだけれど、どの作品も質が高くてとてもよい。今回も安定して面白かった。

ちょっと前にもスリル・ミーも見ていて今年は観劇が多めかもしれない。さんきゅーふぉろわーいつもありがとう。

私は役者さんが演じるキャラクターが好きで役者さんはあくまで表現者であり、混合するものではないと思っている。というよりも演じているキャラクターをそのまま受け取っているから混合しようがないのかもしれない。演じ分けをそのまま受け取っている。

今回もテナントさんというよりも彼の演じる作品を見たという感覚ではある。

善き人の主人公は自分を取り巻く流れに逆らうことができず、英雄にもなれず、自分の身を守るために信条を曲げ、それでも自分は善良であると信じたいただのそこにいただけの人間というキャラクター。

事前にクロウリーというキャラクターが頭の中に存在していたため、今回の演技を見て「あぁ、確かに彼はクロウリーという魅力的なキャラクターを演じていたのだな」ということが腑に落ちた。人が演じているのを見ても、人が演じているのではなくそこにキャラクターがいるといった風に受け取ってしまうのが原因なのかもしれない。人が演じているというよりはそこに人間を使って映像を描いているという感覚。

(さっきまでU-NEXTでドクター・フーをちょっと見たのだけれど若くてちょっと驚いた)

人外を演じていた彼がまさに人間らしい人間を演じているのを見れたのは面白い経験になった。普段は演劇もドラマも見ないのでそういった経験がとても薄く、見たものを解釈するのも苦手なのが残念だ。今回の善き人も見慣れた人が見たならきっと深く楽しめたのだろうと思うと惜しい気持ちになる。

 

本題の善き人の感想としては。メンタルにぐさぐさささってとてもつらかった。

今のこの時勢にこの作品を流す意味についてずっとこねていた。

一番心に刺さったのは自分が大切で他のものは優先度が低くなるのところ。心に刺さるのはつまりやましいと感じている部分に投げかけられる言葉だからだ。

自分が大切、自分の生活が大切、自分の地位が大切、自分の居場所が大切、自分の安全が大切、自分のことを守りたいという気持ち。間違いじゃないけれど、そうすることで何かを間違いなく選んで捨てて行っている。自分のことを守るだけの人間は善き人ではない。

けれど自分を危険にさらしてまで誰かを助けることができる人はそうそうおらず、それができないのは平凡で普通の人だ。

人の選択は細かいことから大きなことまで、その時は些細な選択でもそれが後から取り返しのつかない大きなきっかけに代わることもある。例えば選挙で選んだ一票とか。

けれどそれを選んだのは確かに私、その道に進むことを選んだのも確かに私なのだと…その事実の重さを突き付けてくるような話だった…。

もちろんこれは一要素でしかなく、様々な面で考えさせられることが多い作品だった。

 

時系列は気にせずに感想を書いていく。

 

最後の収容所へ行くシーンで史実の最低最悪のあそこだと気が付いてしまい感情がめちゃくちゃになってしまった。行きつくところはそこである。

頭の中で鳴っていた音楽は現実として目の前に現れた。音楽を鳴らしているのは幻ではなく、目の前にいる囚人服を着た現実の人間だと突き付けて、目を背けるなと言っている。

平凡で普通の男性だった彼がこの場所に行きついてしまった。ただ流されていく、現実から目を背け進んでいく、自分のためにと進んでいった結果がこれなのだと…。

妻のまやかしの言葉も届かず、幻想の音楽は現実のバンドにとって代わって彼はもう現実から逃げられず、現実のバンドだと二回言う。本当に重い結末だった…。

大学教授で文学を教えていた平凡な彼から、変質してしまいナチスの親衛隊として後戻りのできない暗いところまで下りて行ってしまう物語ではあるがそこにたどり着くまでに分かりやすい大きな選択というものがなかったのが本当に恐ろしい。その時は後でどうとでもなるよ戻れるよと思いながら選択をしたのに、進めば進むほど後には戻れず振り返ったらかつての日常ははるか遠くにある。まるで現代の様で恐ろしかった。

 

制服に関してはあえて似合わないような着こなしと仕立てをしていたように思う。服に着られている少しだけ大きく、重たい服の印象があった。

着替えのシーンではシャツの段階では気が付かず、ズボンの形を見てからあれだと気が付き、磨き上げられたブーツを履いた当たりで頭を抱えたくなった。

カーテンコールの前に一瞬で着替えて出てきたのには驚いたけれど、この作品がつたえたかったことを考えるとそうなるだろうなと納得した。でもだいぶ早着替えだった…あれ脱ぐのだけでも大変だろうに…。

 

アンは彼を楽なほうへと常に誘導していた。

私たちは何をしたって何が起きたって善き人よは本当に…思考停止と甘い言葉で自分は善なのだと思わせるそんな言葉だった。物事をただの警備、ただの護送をするだけと相対的に私たちは良いことをしているのだとまやかしの言葉を吐いて自分の安寧を手に入れる。いったいそれのどこが善だというのだろう。

主人公はアンと出会い恋に落ち、母と家族を捨て森の中で友人から奪い取った家で暮らす。

けれど一つ一つの選択はばらばらのタイミングで幾ばくかの罪悪感を伴う選択でしかなかった。

楽に流れるのはあまりにも人間らしく、その家で自分よりほかは優先度が下がるのだと語りかけてくるのは本当に胸に刺さってつらかった。

 

水晶の夜のシーンで暗転し、悲鳴と爆音、銃声がびりびりと震えるくらいの重低音で鳴ったのが本当に恐ろしかった。これは今現実で起きている、起きたことで遠い昔のことではなく、もしかしたら明日私も体験することになるかもしれないのだとそんな予感と空想で震えそうになった。

初めは一時的なものだ、考えすぎだ、大丈夫だと友人に話すような気軽さだったのに、こんな場所にたどり着いてしまった。

暗転が終わり呆然と立ち尽くすジョンのそばへモーリスが近づいてきたとき、これは彼の音楽のように幻の存在ではないだろうかと疑った。

あの状況で友人のもとに本当に表れたのか、それともジョンの罪悪感が見せた幻覚なのか。どちらだったのかは結局はっきりしなかったがどちらであるかは重要ではないのかもしれない。

隣に座っているモーリスが涙を流しているというのに彼は自分は悪くないのだと支離滅裂な自己擁護を始める。ユダヤ人こそが正当なのだと訴えるべきだったのだと責任転嫁をする。自分は悪くない、こうなってしまった状況になってしまったのが悪いと現実から目を背けた。

書き出せば書き出すほど善き人とは何か?を考えさせられる。

 

ジョンが焚書を行ったシーンで自分の本を残せるならばと選択するのも最悪だった。

多くの人が知らない本、だから自分の手元に残す本以外は燃やしたっていい。それで自分の地位と安全は保障されるのだ。そういった保身と自分の欲を優先した結果が焚書になる。

過ぎ去りし日々というフランスの本を過ぎ去りし日々なんて何の役のもたたないと火に投げ込む姿は本当に愚かで、救いようがない。けれど否定したら本ではなく自分が日に投げ込まれるとしたら私は否定できるだろうか?とも考える。命よりは軽い本だと思うのはとても苦しく感じる。

過去の文化や知性を否定し焚書を行った時点で大学教授としての彼は死んでいたのかもしれない。

軍服に着替えるシーンではジョンは当たり前のように日常の一部として制服に着替えていた。あの着替えのシーンで本当に後戻りのできない場所へ彼はいってしまったのだと実感して、動揺してしまった。

伝令の青年の反ユダヤの言葉に懐疑的で反感、苛立ちを感じているような態度だった。けれどその言葉そのものは否定せずゆっくりとその通りだと言葉を繰り返していた。

水晶の夜で己の罪悪を目の当たりにした彼は今度は本当に自分は間違っていないのだと自己弁護を行う。ねじ曲がっていると気が付いているのかどうかは定かじゃなく、気が付いても見ないふりをしているのかもしれない。

あくまで本当に普通の人としてのふるまいなのが日常の延長線上にあった出来事として意識して空恐ろしい。

 

物語が始まった時のジョンと終盤のジョンではあまりにも違っているのに、本人はそのことに気が付かず自分は自分であり何も変わりないと思っている。

実際、普通の人であるという点に関しては一貫して変わりがなかったように思う、どんな立場や選択を行ったとしてもそれは普通の人が普通の判断を行っただけだった。

けれどそれがこの惨劇まで連れて行ってしまった。

 

感想をばーと書き出してみたもののやはりばらけてしまってまとまりがない。

ストーリーの本質的な部分や演出や意味まで汲めていない、感想というよりは事実を並べていっただけのようで何も理解していないのではないかと思う…。他の方の感想も見て回って解釈筋トレを続けていきたいものです。

全ての要素に言及を行うと無限に時間が無くなるためここまで。

お粗末様でした。