プリンタニア・ニッポン 59話感想
感想の前の感想
プリンタニア・ニッポンを深く掘り下げるきっかけはハリスとはいったいどんな存在なのだろう?という疑問だった。
2巻収録のおまけ2の瀬田8に燃やされたというのもあるけれど、作品としての興味の軸はハリスとはオリジナルとはいったい何なのだろう?だった。
2巻の好きなコマを選ぶキャンペーンの時、私は「人を救うのが命題のようなもの」ということが語られているシーンを切り取った。
おそらく人ではない何か、人を助けていた何か、猫が起きるのを待っている誰か。
その人はいったいどんな存在だったのだろう?
その疑問に対する答えが次の回で明かされるかもしれない。
少し落ち着いたので多少は冷静な文章になっているはず。
ハリスについて情報が明かされることをずっと待っていたけれど、
この作品はあくまでプリンタニアがメインであり、
この世界を今生きている人間たちの話であり、
舞台装置の一部である猫やハリスの背景は語られることはないだろう、
ともずっと思っていた。
なので3巻でSFを前面に押し出した話展開され、4巻分の現在の話ではハリスとマリヤに対する言及や過去の話が始まったことに毎回のように動揺していた。
感想を書くことをずいぶんとさぼってしまっていたので、当時の自分がどう考えていたのかは分からないが毎回のように気が狂うといっていたはず。
60話に関してはこれがきっと最後になるかもしれないという予感がある。
私が彼はいったいどんな人物だったのだろうと夢想するのはこれで最後かもしれない。
ハリス、マリヤ、猫の関係はプリンタニアの世界の住人達には周知の事実で、それらが改めて話題にでることもない。佐藤目線の物語として進行していく以上、誰かが問わなければ疑問・話題として浮上することがない。
たまに言及されるハリス、マリヤ、猫の断片的な情報を組み合わせ、この世界を作った意図やこの世界に作られた人間たちから成り立ちや望んだこと、過去を夢想することももしかしたらなくなるのかもしれない。
現時点では、ハリスはずっと寝ていてどんな言葉を話したのかもわからない、マリヤは姿すら出てこずハリスが大切にしていたらしいことしかわからない、猫はハリスを保管し続け旧人類の残滓を抱えて奥へとひきこもっていることしかわからない。
その他、細々と彼らに対する言及はあるが上げだすとなかなか終わりが見えない作業になる。また4巻分の内容では過去の巻よりも多めに言及があったように思う。
正確にカウントを取っていない自分に対して絶望するが、これは4巻が発売されたあとに本気で読み込もうと思う。
3巻のLINE配信のありがたさが身に染みて感じた4巻だった。次こそは単話配信を頑張っていただきたい。
読み返す方法がないのはとてもつらく、好きな時に参照できない以上真面目に掘り下げるのをためらってしまう。
60話ではほぼ間違いなく過去の話の掘り下げが行われる。
答えが出てしまう。
答えが出てしまった時私はいったい何を思うのだろう。答えを得たから満足するのだろうか。それとももっと知りたくなる?
何がわかるのか分からないが、少なくとも今まで通りではいられないだろう。
話数としてはそろそろ4巻の締めに入るか、もしくは今回の話が4巻の締めとなるか。
1年に1巻ペースで刊行される都合上、59話が最後の話だった場合私は1年間苦しみ続けることになるため、ぜひとも凪の劇の終わりまで収録してほしいと心の底から切望している。ほんとうに命とモチベーションに関わるので多少厚くなって値段が上がっても構わないので4巻にまとめてほしい。
ハリスという幻想について
ハリスという存在は常に誰かの言葉で表現されていた。
直接的に彼が表現されたのはデコイを作るために塩野と佐藤すあま達が地下へ降りて行った時だけ、それ以外は常に誰かから見たハリスが描かれていた。
どのような言葉で表現されていたのか一つ一つ上げていきたいが、それだけで無限に文字数が増え続けるため省略を行う。
ハリスを語るとき誰かはその言葉に願望をのせている。ハリスという共通のフォーマット、概念そういったものがあの世界には存在している。
ハリス自身が何を思い、何を考え、どのように行動し、何を願ったかといったことは一切でてこない。
今判明している情報はハリスを外部から観測した結果と感情が込められたもので、いまだにハリス自身の言葉はどこにも存在していない。
客観的事実に近い内容としては塩野の発言による「オリジナルは人を助けるのが命題のようなもの」、猫の発言による守りという表現からハリスは人を守護していたことをうかがえるがそれ以上の情報は存在しない。
あの世界の機械達の行動や発言を鑑みるに、ハリスが物言わぬただの機械であったとは思えず、そうでなかったからこそ現行人類達に幅広く支持される(彼に対する人類の感情をうまく表現することができない)のだろうと思う。
全てに素晴らしいと称される、中身が見えない何か。がハリスだ。
素晴らしいと言われている、断片的に受け取る情報から素晴らしいという文脈に沿ってハリスという幻想を組み立てる。自分にとって都合のいいように存在を定義する。直接的には知らないが、知っていることは素晴らしいことばかりだ。
例え、伏せられていることがあったとしても、それを実感として知ることはない。知ったとしてもそれが記憶に結びつくことはない。
といった状態が現在軸の現行人類にとってのハリスだと思われる。
そしてそれが私が見ているハリスでもある。
今までは幻想の自分にとって最高だと思う解釈、想像、幻想でハリスという存在の内側を埋めていたが、
60話でハリスの中身が明かされたのなら、それが自分にとって都合の悪いものだったらどうなるのだろうと考えてしまうことが恐ろしく感じる。
少なくともハリス、マリヤ、猫の過去の話はされるのだろうけれど、それがどのような表現で届けられるのかはまだ分からない。
3週間後に何がわかるのかはまだ分からない。それが待ち遠しく恐ろしくもある。
59話の感想
ハリスについての感情をひとまず並べていったら2千文字をオーバーしました。ここからが本題です。時間も盛大に飛びました。
1P目
矢浦君が最高にかわいい。よみよみの擬音が天才。
棒読みテンプレート感謝感想文。身に覚えがありすぎてちょっとつらさを感じてしまった。わーっとは書くことができるけれど畏まった感謝の言葉は難しい。
苦手な子向けのそういったテンプレートがあったんだろうな。
あっちを見るんですよのコンサルのサポートする姿勢も愛おしく、佐藤も身に覚えがある言葉だなと思っていそうなところもとても好きだ。矢浦君の猫服カーディガンは自分で選んだのだろうか?
2P
何をいうか迷ってから、ちょっとは楽しかった?という佐藤の言葉が最高に愛おしい。愛おしいは何度言ってもいいレギュレーションです。
ちょっとはという言葉から不安と自分はうまくできただろうかという予防線を、
楽しかった?という言葉からは矢浦君を楽しませたい、知りたいと思っていることを教えてあげたい、スクールの外は楽しいのだと思ってもらえただろうか?という気持ちが見えるようでとても好き。
それに元気よくうん!!と返事をする矢浦君の笑顔がとてもまぶしく、佐藤が聞きたかったのはこの返事だったのだな、この一言で佐藤は安心できたのだなとわかって本当に大好きになってしまう。ほっとしました、で佐藤も不安でどうしたらいいのかわからなかったのだろうなというのがわかる。
自室で佐藤が大きな人らしくないだらけた姿勢で弛緩しているのがとても佐藤で好きだ。普段の自分ならしない・選ばないことを一生懸命に頑張って前に進もうとする姿にやっぱり佐藤はこの作品の主人公なのだなと実感する。
佐藤の真似をしておしりをあげているすあまがあまりにもかわいい。ありがとう。
コンサルが旗を持ってとてもがんばりましたとほめているのがとても好き。
喜びが抑えられていない、とにかく形にしたい、私の大好きな担当人類を褒めたい!という感情が前面に出ている。コンサルの感情も機能だったのだとしても、それを機能として組み込んだこと、それをコミュニケーションとして前面にだしていることそれが本当に愛おしいと思う。
佐藤のコンサルももしかしたらほめ方の模索をしているのかもしれない。
お祝いにケーキの概念があることが知れたのもいいし、胃もたれするからと断る佐藤があまりにも佐藤で本当に…コミュニケーション…。
3~5P
画面のすべてが可愛い。プリンタニアが最高にかわいい。額に入れて飾りたい。
一コマ目のもなかの毛に夢中になっているプリンタニアが可愛く、メレンゲに登頂したプリンタニアもかわいすぎる。
瀬田くんの頭に乗ってぺしぺししているのも足を振って水を切っているのも全てがかわいい。この漫画はプリンタニア・ニッポンなんだ…。
情報としては、
瀬田は個人で凪の劇へ向かう。
佐藤・塩野はそれぞれ矢浦・弓立から招待状をもらい受けて参加をする。
案内人以外にスクール外の接点があるのか少し疑問が浮かぶ。
佐藤達は全員凪の劇の話を共通認識として行っている。
向井・遠野世代でも同じように劇の話を行っていることから、スクールでは毎年凪の劇を行っていることがわかる。
凪の劇ではスクール生が舞台を作り上げ、それをスクールを卒業した人類達が見る。
いつから誰が何のために始めたのかはまだ分からない。
役は、
・ハリス(尊敬の対象)
・猫
・マリヤ
・人類(重要ではない役?)
・動物(にぎやかし)
で構成される。
彼岸で実施されるため舞台は、
スクール生が舞台を造り、アバター調整を行う。
観客席もスクール生による作成かもしれない。
裏方であることはこの世界でも地味寄りの作業のようだ。
猫も人間が演じる、マリヤもハリスも演じられる。
最後の年と言っていることから、一つの学年ではなくスクール全体で取り組む行事だと想像することができる。
瀬田は人類の名前を憶えておらずセリフのある役をもらったと言っている。瀬田もハリスの役を演じたかったのだろうか。ハリスに対して信仰のような憧れのような感情をもっていることがわかるからできるならやりたかったのかもしれない。
塩野がそれぞれに何をした?と質問をしていることから凪の劇を行う際には必ず役割が与えられているのかもしれない。
そのなかでハリスをやりましたとどやっとうれしそうな顔をしている遠野さんが非常にかわいくてとてもいい。手元のけんかしているプリンタニアがものすごくかわいい。口元のしわとかもかわいすぎるのでは?
塩野や瀬田の反応からもハリスは競争率が高く人気の役であることがうかがえる。その人がハリスを演じることをみんなが納得することでその役を得ることができるのかもしれない。
そうだとしたら瀬田はハリスを演じるには満たない人類であると判断されたともいえる。ハリスにすがって(配信元ネタ)髪を伸ばしている瀬田が…周りの人類達で髪が長い人たちはほとんどいない。そのなかで髪を伸ばし続けている瀬田がハリスに対しての感情がすくないはずもなく、といつも考えてしまう。
それでも遠野に対してあなたが嬉しそうで私もうれしいと賞賛できる瀬田は素晴らしい人だ。大好きすぎる。
ハリスという役を演じることが自慢になる、誰もがすごいとほめることである、そういった共通の認識がそこにある。ハリスは立派であるという認識がある証拠なのだろう。
理想のハリスが自分の演技力では表現できないと呻く小遠野は本当に見たいので4巻のおまけなどに収録されないだろうか。
ここで理想のハリスと表現されている。
それは遠野にとってハリスとはこのような存在であるということを表現すること、演じることでハリスを表現する。
演じるということは、その役を理解するということでもある。
役を理解し、解釈し、その人にとっての正解を演じる。
戯曲は同じだとしても、そこから何をくみ取りどう演じるかは役者によって変化していく。
特に凪の劇は毎年同じ劇を繰り返している様子のため、私ならこうする、私ならこう演じるといった考えも出てくるだろう。
毎年同じシナリオだったとしても、舞台、演者が変われば変化が起きる。
世代が変わり、ハリスやマリヤのことを直接知らない世代になったならそれはもっと大きくなるだろう。
正確な記録を取ることも簡単だろうあの世界で、映像を見るのではなく演じることの意味とはなんだろう。やはり解釈し理解するという工程が重要なのかもしれない。
事実を並べることしかできない自分の理解の浅さには落ち込むが、アウトプットを繰り返さなければ理解も深まらないため継続を行う。
凪の劇はすべての世代で共通の話題となっている、大きな人たちのそれぞれの過去の話。そしてプリンタニアの過去の話。ダブルミーニング。
ハリス達の過去の話がどのような形であらわされるのかは分からない、演技というものを抜いた過去の回想だろうか、あくまで劇という形式に則った演出だろうか、それともそれが混ざったものなのか?
原液としてのハリスやマリヤ達が出てきたのならばそれはかつてない情報が与えられることになり情報過多でパンクするだろう。
劇のフォーマットに乗せられるならば、ハリスという原液を現行人類の解釈で割ったものになる。割ったというが余計に劇薬になる予感しかない。
映像ではなく劇という形をとることに関してはもう少し練っていきたい。
彼岸で凪の劇は行われる。彼岸には大きな猫がいる。
大きな猫に忘れてはいないと伝える目的はあったりするだろうか。
大きな猫の慰めの一つの可能性はないだろうか。それも60話で明かされるのかどうなのか。
開演までしばらくお待ちください、凪の劇は間もなく始まりますのドキドキする感じがとてもいい。
無重力設定かなの言葉から重力がないという概念は存在していることがわかる。
現代のような基本的な科学知識までは伏せられていないのだろうか、技術的なことがどこまで猫と人類で共有されているのか分からない部分は多い。
宇宙という概念はあるのだろうが、上を宇宙として理解しているような様子があまり見られない。空から上には行けないと思っているのかもしれないが、それでは無重力の概念と違和感を感じる。何でもありでも発想のもとというのは存在するので彼岸のみで扱える概念なのかもしれない。
情報の整理が必要な部分だと思われる。
永淵が矢浦から招待状をもらっているのがとてもかわいい。怖い目にあったのに招待状を渡す矢浦君。過去の人に今の人の凪の劇を見てもらう、永淵はハリスが動いていた時を知っているのだろうか。
永淵の佐藤にちょっかいかけていくところ、厄介なおじいちゃんが孫をかわいがる仕草のように見えていい。
佐藤をよく叫ばせているし、永淵も佐藤にびっくりさせられている。
永淵は人間らしい振る舞いをどこかに置いてきてしまったかのようにみえるが、そのじつとても人間らしい部分もある。人間の機能は失ったが、やはり人間である。
永淵は長く活動していて、他人に自分の言葉が届かないほうのことが多いことを知っている、だから佐藤が永淵の言葉で案内人をしたことに驚いたのかもしれない。
永淵の言葉は他人に向けているようで自分に言い聞かせたり確かめたりするような部分が多いように見える。
人間であるが人間から外れているもの。人間が人間でなくなるということを知っている人間。
「真理は我らを自由にする 知ることで広がることもあるし 省みることもできる」
うしろのすあまとそらまめで中和されそうになっているけれど(かわいい)重要な話をしている。
真理とはこの場合なにを指すのか、非開示にされている過去のことだろうか?開示された情報の過去を知ることで進む道が広がることもあり、過去を反省することもできる?
けれどその開示された情報に対し囚われすぎないように、昔の話なのだからもうどうしようもないことで過去は変えることができない、と永淵はいう。
大きな猫の信頼を得ること、裏切らないことで情報は開示される。
その情報(真理・事実・過去)は知ることで道を開くことができる、選択を増やすことができる。だけれどそれに囚われてしまうこともある。
忠告は永淵がそうだからなのだろうか、それとも大きな猫が?
ここで昔の話ですべては終わった話であり過ぎ去ったことは何も変えられないのだと提示したうえで、凪の劇が開演される。
この流れで明るい話になることはきっとないだろうし、この世界の成り立ちや根底の部分に触れるのだろうと想像ができる。
けれど永淵がいう知らなくてもいいような内容が情報非開示の内容だとすれば、凪の劇ではいったい何が行われるのだろう。それは事実なのか?
最後のコマが下へ向けてグラデーションが暗くなっているのは幕が上がる前の重い空気を思わせる。いったい何が始まるのだろう。
全体の流れとしては、佐藤の案内人の終了、終了後に凪の劇へとつながる。
凪の劇はスクールを通った人類はすべて体験しており、役割のない人間はいなかったということがうかがえる。何人で劇を運営しているのかは不明だが、少なくとも役者+裏方分の人数はいたと思われる。
そして凪の劇の観劇前につながり、案内人のきっかけになった永淵からおどろかれ、けれどそればかりにとらわれないように過去は変えられないことなのだからと忠告を受ける。
驚いた表情の永淵が素の表情をしていてとても好きだ、どうしようもないことは誰に向けて言っていたのだろう。やはり自分に向けて話しているような部分があるようにも思う。
総合すると今回も最高だった。うまく感想は書けないし理解度も低い、感情の理解は全然できていない。それでも好きだなと思うのでプリンタニアは面白いんだ…。
感想というよりだらだらと書き連ねただけだが、3週間後にすべてが吹き飛ぶ可能性を考えたら書かずにはいられなかった。
また思いついたなら編集をしようと思う。